魔法少女育成計画breakdownを読み終えて

 2015年6月の「僕の私のオリジナル魔法少女大募集」から企画が進行し、2017年3月から連載が始まった「魔法少女育成計画breakdown」の三年以上に亘っての全26話+あとがき掲載完結お疲れ様でした。雨の日も風の日も、月末を楽しみに待ち望み更新された時は家の中や我慢できずに帰宅途中に読んで心燃えた日々のことを今も鮮明に記憶しております。

 少し遡って振り返ると、応募魔法少女の5人は合計514名と多くの魔法少女達の中から月まほ公式Twitter曰く紛糾の会議を通し採用されたんですよね。あとがきでもその苦労と選抜後の大変さについて言及。また、採用理由の一文として、

魔法少女育成計画通信 Vol.5

 外伝の状況にぴったり合っていたり、別の魔法少女とコンビネーションができたり、 そういった部分で採用が決まったり、惜しくも届かなかったりと悲喜こもごもでした。

 とVol.5にあります。「別の魔法少女とコンビネーションができたり」とのことですが、これは戦闘面的な意味というより、人格の相性並びに展開的な意味が主に含まれていたのではないかと認識しています。マーガリートさんとクランテイルが共に女神に立ちはだかったのも、ネフィーリアの魔法をきっかけにチェルシーが蘇ったのも、ネフィーリアがイマジナリー恋々と会話するようになったのも、ある意味では魔法少女コンビネーション。

 breakdownの時系列的に「QUEENSでお嬢は用意した人材がプク・プックに洗脳されているか否かの判別を7753のゴーグルに頼らず監査部門に協力してもらったのは何故か?」の疑問に対する答えは「7753が木になってたから」とも考えられる。意外なベストアンサーだった。

 以降はbreakdownを彩る五人の魔法少女について。

 

ミス・マーガリート

 初見時の印象が異なることも間々あるまほいくにおいて、マーガリートさんは最期まで初見時の印象「かっこいい」「強そう」の通りかっこよくて強い魔法少女だった。

 勿論それらの一言では収まらず、冷静な思考と鍛え抜かれた技術、一瞬で分析と判断を行うプロフェッショナル、頼り甲斐のあるベテラン魔法少女の風格にビジュアルの華麗さを兼ね備えた存在。作中で度々鼻を鳴らすのと動じなさもあって毅然としたイメージと、時には人間味感じる(3話のにやり、17話の撫でる等)柔軟なイメージもある。

breakdown第24話 p.22

 マーガリートの目はほぼ閉じられていたが、肌で感じていた。統太が剣を抜き、女神を刺した。よくやった、と心の中で褒め、マーガリートは口元を歪めた。

 心激しく動かされたシーン。「よくやった」と最後の「マーガリートは微笑み、柄ではないかと思い直して顔を引き締めた」で感情張ち切れた。14話の「大人ぶった顔を作って」も含め、マーガリートさんは自分らしさに比重を置く人物であるとも汲み取れる。

 下克上羽菜もそうだったように、作中のマーガリートさんの弟子は本人も含め皆不撓不屈で、「最後の最後、残った力を振り絞ることは魔法少女の得意技でさえある」は羽菜も最後に残った力を振り絞っていたのを思い出して沁みる心に。

breakdownあとがき p.11

 元々社交的とは言い難く、我慢しながら勤めていました。我慢は彼女の得意技です。

 子供の頃から誰かを指導する立場になる機会が多かったのと、「アンナマリーのことが無くとも、結局は──」は麓郷薫子及びマーガリートさんに対する知見を深める上で重要に思える描写。指導すること、戦地に身を置くことに興の部分があったとしても、複雑な人間関係を嫌い静かで景色の良い場所を好むマーガリートさんにとって子供の頃からの他の誰かによる積み重ね、特に自分が指導した弟子達が殉職、政争もどきに巻き込まれいなくなった事実は堪えていたはずで、アンナマリーの死はその積み重なった心情の決め手であり、だから「アンナマリーのことが無くとも、結局は──」とあったのではないかと。我慢の限界として。

 限界あれど我慢強い部分は島でも見て取れて、自分の重傷も必要とあれば差し置いて最善の行動を優先する所に我慢基芯の強さを十二分に感じる。6話ではマイヤの死に対する心の動きを本人は異常者(まともな人間性の欠如)とも表現しているけど、20話で「チェルシー! やめろ!」と実利を理解した上で勝利より人死がでないことを優先するのは人間性の欠如に当て嵌まらない人情。作中の活躍を総じて監査部門教導役&下克上羽菜の師匠という重要ポジションに相応しい魔法少女でした。

 

ネフィーリア

breakdown第26話 p.17

 ネフィーリアの口を借りて恋々の声が出る。それにネフィーリアは言葉を返す。

 死神(モチーフ)が悪魔天使の羽を擦って家族と会話するシチュすごい。

 最終回前は人助けを連続で行い、自分らしくない自覚を持って吠え立ち向かう果敢な面のイメージが自分の中で強まり、最終回の狂気性もまたネフィーリアだった。事故か故意か13話の再会以降どのタイミングで刺されたか18話で貰ってた矢尻か原因かの解釈は読者によりけり。らぶみーの名に相応しい。

 人によって生じる恋心は千差万別の恋々の魔法でチェルメリーズにナヴィと共通してコントロールが難しい状態に陥っている中、 ネフィーリアはある程度心をコントロールできていると本人は自覚。

breakdown第26話 p.18

 恋々が既に死んでいるからか、それともネフィーリアに適性があったのか、はたまた恋々は本気で魔法を使ったわけではなかったのか。

 その可能性として上記三つを考慮していて、まず「恋々が既に死んでいるから」は同じく死後の魔法効果を受け偽ることに長けているナヴィですら心のコントロールが不可能になっている時点で考え辛く、「恋々は本気で魔法を使ったわけではなかったのか」は恋々の魔法は矢がトリガーであり魔法によって生じる恋心は刺された側を軸にしているはずでナヴィの件も加えて考え辛い(実は恋々がある程度の匙加減を調整できる可能性も0とは言い切れない)

 よって消去法で「ネフィーリアに適性があった」が最もあり得ると推察。バイキルトを重ねがけしても攻撃力が二段階上昇する訳ではないのと同じ理屈で、ネフィーリアには洗脳前から恋々に対する「適性」があったのではと思います。

 

らぶみー恋々

breakdown第6話 p.37

 恋々の矢は攻撃対象を肉体的に傷つけることはない。

breakdown第26話 p.18

 事件が終わってから時を経る毎に恋々への思いは強くなり、これはひょっとしてと自分の身体を探ったら鏃で刺したと思わしき小さな傷があった。

 2話の「裏切るくらいなら死にます」の急速な信頼の寄せ方、6話の「恋々は心の中に戸棚を持っている」の今見るとなるほどってなる描写など狂気性露呈前の序盤から垣間見えている「強固な世界観の持ち主」描写の中でも矢の件もまた強烈。

 傷つかない説明の後に矢尻でチェルシーの足の指先にかすり傷がつけられてる時点で違和感はあり、最終回のネフィーリアも傷ついていたことから15話の「恋々が騙していたのは他人ではなく恋々自身だった」に魔法の効果も含まれていたとも捉えられる。

breakdown第26話 p.13

 刃によって傷つけられているにも関わらず、血は流れていない

 ただしナヴィには血が流れておらず、血を流したチェルシーと矛盾。矛盾というよりは単純に「血が流れない程度のかすり傷」と考える方が自然かな。矢を刺した時に傷がつかないのはあくまで故意の場合のみであり、恋と故意でかかっていて、恋々のもう家族を失って傷つきたくない深層心理が矢の性質に表れていると解釈できなくもない。

breakdown第19話 p.28

 恋々は微笑んでいた。背中を割られ、口からも血を流し、それでも笑っていた。

「駄目……家族……」

 自分を騙し続けて家族第一の"現在"を生き続けてきた恋々が"過去"に守れなかった妹を守ることができて微笑むのが胸に刺さる。自分を騙しながら同じことを繰り返さないと混濁した現在に向き合った。家族を守ることができなかったけど家族を守ることができた。魔法少女紹介の「刹那主義と快楽主義」は恋ネフィにとって言い得て妙な表現だと思う。

breakdown第10話 pp.10-11

 ──違う。お母さんは死んでない。お母さんはいなくなったんだ。私を置いていったんだ。死んでない。なんで死んだなんて思う。死んだのを見たわけじゃない。まして殺したわけはない。殺したりなんてしない。お母さんなんだ。殺したりなんて……

「しない!」

breakdown第19話 p.17

 歪められていた思い出がはっきりとした形で蘇る。争う母と父。泣きながら割って入ろうとする幼い妹。はずみで吹き飛ばされ、壁に跳ね返り、動かなくなる小さな身体。母の悲鳴と父の怒声をかき消す少女の叫び。そこでぷつんと記憶が途切れ、見えなくなる。

 最後まで詳細に語られることは無かったこの描写について。恋々がお母さんを殺したとしたら、その経緯は19話で垣間見えた記憶を元に考えると、

・妹が母と父の争いに巻き込まれて死亡する→錯乱した母が激昂している父を殺害する→止めようとした若しくは我を忘れた乞水怜が母を殺してしまう

 が恋々が母(父を殺した描写がない=母のみと推定)を殺害する理由として最も道理にかなう経緯に思える。この一件を経て恋々は他人を母、父、妹と認識するようになり、序盤の「お母さん」はn番目の親戚か誰かで、母親でもないのに母親として接してくる幼き日の乞水怜を気味悪がって家から出て行った可能性。それでも恋々自身は心の底から家族のことを本当に大事にしていた。恋々性のこと考えると胸が引き締まるのと同時にどんどん惹かれていく。

 

ドリーミィ☆チェルシー

 1話から34歳無職とインパクト強かったの懐かしい。こういったファンタジーやメルヘンチックな存在+世知辛い現実味というのは美少女を嫌いなこれだけの理由の「特殊な語尾は免許制」や勇者は本当に旅立つべきなのか?の「RPG世界観の勇者における死亡手当ての有無の議論」など昔から遠藤先生作品で見受けられてきたので、夢野千枝には馴染み深いものを感じた。

breakdown 16話 p.24

「今から魅せてあげる。あなたの知らない可愛らしさを」

 やることは決まっていた。ハートマークを崩してピースサインに移行、ビシッとポーズをつけて腕をクロスさせながら相手を指し、叫んだ。

「ドリーミィ☆チェルシーに! お任せよ!」

 太陽光を受けて星飾りが黒く光る。女神が飛ぶのと同時にチェルシーが踊った。

 ドリーミィ☆チェルシーの最高に大好きな台詞と幕開け。当時のツイートでも早口で大興奮してる。チェルシーを語る上で触れておきたいのはこのドリーミィ☆チェルシーと夢野千枝との意識の違い。

 6話の頃から「夢野千枝であればこんなことをいわない」「ドリーミィ☆チェルシーは違う」とあり、また自分を優先しすぎた余り他人に対して考えが及ばなかったことを「チェルシーがもう少し考えて、自分だけではない、他の人のことも半分くらいでいいから思うことができていれば、ひょっとしたら違ったことになったんじゃないかとどうしても考えてしまう」と16話で反省。

breakdown第25話 p.22

  チェルシーなら反省はしても逃避はしない。ああしていれば良かった、こうしていれば良かったという思いを次に活かして次回作で大活躍する。こそこそ逃げ回って布団の中でぐすぐすと泣いているよりそっちの方が余程チェルシーだ。

 25話でそうした反省を経て、最終的に夢野千枝はドリーミィ☆チェルシーとしてドリーミィ☆チェルシーらしく前に進もうと決め、誰かを救う自分だけではなく自分が助けられる誰かに思いやれるドリーミィ☆チェルシーへとbd序盤から成長した、と25話の「ドリーミィ☆チェルシーにお任せよ」を見てそう受け取りました。チェルシーの「いくらなんでも主人公過ぎる」ボツシーンいつか見てみたい。

 

パステルメリー

 マーガリート(複雑な人間関係)、ネフィーリア(死)、恋々(破局)、チェルシー(暴力)と応募魔法少女は嫌いなものと接に生きてきた印象がある中、メリーはメリーらしくメリーの人生を生きてきた印象がある。あとがきの通り平和を愛する魔法少女

breakdown第25話 p.15

 よりによって殺人鬼の身体をもらい、しかも意識することなく斧を拾ったかどうかなどと尋ねてしまうという極めて気味の悪い状態にあった。いつしか心まで乗っ取られていたなどということになっても全く不思議ではなく、これで嫌な気持ちにならないわけがない。

 女神の特性には「穴の中に潜む対象を攻撃することができない」「魔力を持たない人間を認識できない」もあったけど、そちらの特性も健在なのか気になる。質問の答えは何だったのか、フランチェスカの精神が完全に消滅しているのかも同じく気になります。

 何はともあれ女神メリー、「相対的に考えれば幸せだ」とプラス思考で前向きなのは芯の強い部分。チェルシーと一緒にいると比較的まともに見えなくもないように思えてやっぱり独特の感性の持ち主と見て取れる。七転び八起きそしてまた転び。ビジュアル未公開とはいえ女神とチェルシーのツーショットは映える組み合わせだと思っているので、女神メリーがチェルシーの隣に立つ未来を想像しているのが嬉しかった。いつか二人でチェルメリーズにお任せよ!する光景夢見てる。

 二年F組弁当合戦の女神は女神メリーの前提で話を進めるとして、カスパ派の書庫で見張りを務めているのは1話で「プク派は論外としてカスパ派あたりに鞍替えして自由に生きるか」とあったラギの了承の元の仕事先だと思う。ただbdでは「夕飯のメニューを一品増やしてやるなり」とあった女神メリーの食生活は弁当短編では「一人暮らしの料理テクを教えてあげますよ」とありラギの管理下から自立しているとも受け取れる。チェルシーにお弁当作ってあげたりしてほしい。

 

 今後の魔法少女育成計画に恋々の羽持ったネフィ、女神メリー、ドリーミィ☆チェルシー、法は絶対という認識の元無法に手を染めたラギ、洗脳ナヴィ、人造子供達、ドライアド7753等の内の誰かが関わってくる可能性あるの楽しみ。濃すぎる面子。

 魔法少女育成計画breakdown完結まで掲載を続けていただきありがとうございました。充実した日々を過ごすことができました。書籍化を切に願う。